• 職 人
  • 大橋歩美

平成5年6月10日生まれ(23歳)

血液型:B型

好きなこと:石拾い、登山、ユーミン、バレーボール、お裁縫。

好物:餃子

座右の銘:「急がずに、だが休まずに」

現在、ばれん職人兼伝統木版画の摺師である。

  • 家族

 公務員の夫とふたりぐらし。両親は北海道月形町の切花農家。父は東京出身、母は栃木出身の新規就農者。3歳下の弟は竹細工職人の修行中。

  • 生い立ち

 茨城県牛久市に生まれるも、生後10ヶ月で北海道月形町へ移住。地元の小中学校を卒業し、高校も月形高等学校で学ぶ。特にやりたいこともなく過ごしていた高校生活だったが、進路決定間近な高校2年生の秋、テレビ番組で紹介されていたばれんと親方に出会う。これが親方、後藤英彦先生との出会いである。
放送時間は5分程だったが、自分にビビっときたのを感じ、その後親方の元へ自分を売り込む。いきなり弟子という形ではないにしろ、親方にばれん製作を教えてもらえることになる。

 高校を卒業後すぐに上京し、アルバイトで生計を立てつつ、親方の開くばれん製作を教える塾へ入塾。ここで1年間ばれんの基礎を学んで弟子に出来るかどうかを見極めてもらう。また、その間にばれんは元より全くなんの知識もなかった木版画を学ぶべく、親方に彫りの先生を紹介してもらう。これが彫師、朝香元晴先生との出会いである。
 紹介後、朝香先生の教室へ通い彫りや摺り、木版画ができる過程を1年間学ばせてもらう。その途中で朝香先生に情熱家の伝統木版画家がいると紹介を受け、朝香先生と共に工房を訪ねる。これが版画家、デービット・ブル先生との出会いである。
 訪問後、摺りのお手伝いを探しているとの事だったので摺師見習いとしてブルさんの工房へ通わせてもらえることになる。
 こうして上京1年目で様々な分野の職人さんに技術をご教授いただき、あっという間に1年が過ぎさる。
 2年目からは、親方に許しを得て弟子に。1年半親方の工房へ通う日々が続く。また、朝香先生の教室を卒業し、ブルさんの工房で摺師として少しずつ仕事を任せてもらう。
 3年目の秋ごろ、弟子の卒業が言い渡される。ブルさんの所の仕事は継続。
 4年目、独立に向け準備を始める。ブルさんのお店が浅草へオープン。浅草で摺りを始める。

  • 趣味

▼石ころ拾い
 幼少期から現在まで続く私の趣味、石ころ拾いだが、わかってくれる人は限りなく少ない。石と言っても宝石ではなく、いわゆるその辺に敷いてある砂利道の石ころや海辺の石ころを指す。以前実家の砂利道の石拾いをしていて、せっかく砂利を敷いたのになくなるだろと父に注意されたため、選別し小さいバケツに(10年ものの選抜石を)貯めていたのだが、私が上京後弟に全て元の場所に戻したと聞いて絶望。石との出会いも一期一会なのに家族は皆わかってくれない。
▼登山
 小学校2年生の時、両親に無理やり連れていかれたきっかけで始めた登山。今では自らの意思で登るほど好きになった。その中でも一番辛かったのが小学校5年生の時に登った羊蹄山だ。羊蹄山は特に難しい山ではないのだが、登頂までに持っていた水を飲み干してしまい下山中ほぼ無水で歩いた。あまりに辛すぎて小学校2年生の弟とともに下山後泣いてしまった。でも、その後の水とソフトクリームは本当に美味しかった。
▼ユーミン(松任谷由実)
 小学生の頃、母がカセットでユーミンを聴いていたのがきっかけで、ユーミンを聴き始める。好きなアルバムは「昨晩お会いしましょう」好きな曲は「私のロンサム・タウン」
▼バレーボール
 中学校入学後、部活を決める際母にはバレーボール部を薦められたのだが、プチ反抗期だった私は卓球部に入部。しかし、隣のコートでプレーしてるバレー部員を見て早々にバレー部への入部を決意。入部2か月で卓球部を退部すると、その後中学、高校とバレー部に所属した。また、現在もママさんバレーの助っ人(ママさんではないので)として週1でプレーしている。今もなお、あの時の母の「ほらね、やっぱり!」の顔が忘れられない。本当に悔しい。

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